TOP >> 自然葬・散骨という供養の形:散骨された有名人
ドイツ出身の理論物理学者。相対性理論の基礎的な部分をほぼ独力で築き上げ、「20世紀最大の理論物理学者」と評されている。
光量子仮説に基づく理論的な光電効果の解明によって1921年にノーベル賞(物理学賞)を受賞した。
1955年に腹部動脈瘤破裂によって死亡。本人が生前に散骨を希望していたので、遺灰は遺族によって散骨された(78歳没)。
ギリシャ系移民としてギリシャで生まれたソプラノ歌手。
「20世紀最高のソプラノ歌手」といわれ、多くの聴衆を魅了した。現在でもなお多くの歌手に強い影響を与えている。
1977年9月16日にパリの自宅で短い生涯を閉じる(55歳没)。心臓発作が死因といわれているが、実際のところは判明していない。
遺灰はペール・ラシェーズ墓地に一旦埋葬されたが、生前の彼女の希望により1979年に出身地であるギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。
インドのダージリン出身の女優。
最も有名な出演作は1939年の「風と共に去りぬ」(スカーレット・オハラ役)。
慢性的な結核を患っていて、1967年にロンドンの自宅のアパートで喀血によって気管を詰まらせて死去(54歳没)。
遺体は火葬され、遺灰はロンドンのサセックスのブラックボーイズ近くにあるティッカレジ・ミル湖にまかれた。
イギリスのロックバンドQUEENのボーカル。1973年にアルバム「戦慄の王女」でデビュー。その後、ソロとしても活動していた。
1991年11月24日にHIV感染合併症のニューモシスチス肺炎(旧名:カリニ肺炎)のため死去。45歳だった。
フレディはゾロアスター教信者であったため、本人の遺言で遺体は遺族により火葬され、そのあと湖に散骨された(場所は明らかにされていない)。
日本を代表するロックバンド「X(X JAPAN)」のギタリストでミュージシャン。33歳没。
1998年5月2日の朝に自宅マンションの寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見され、病院に搬送されたが約1時間後に死亡が確認された。告別式はテレビで生中継され、遺灰は四十九日法要で、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨された。
遺灰の一部はロサンゼルスの海に当時のバンドメンバーやマネージャーである弟の松本裕士によって散骨された。
アメリカ合衆国出身の映画俳優。世界的な人気を誇る「カリスマ俳優」と呼ばれた。1985年に「エクスプロラーズ」でデビューし、翌年には青春映画として今なお世界中の人に親しまれる「スタンド・バイ・ミー」にクリス役として出演。
コカインとヘロインの過剰摂取が原因で心不全を起こし、23歳の若さで死亡した。
遺体は故郷フロリダ州で火葬され、遺灰はフロリダの空中から散布された。
昭和の国民的スターで、生涯に主演した映画の総本数99本。
レコーディングした作品はなんと521曲。
1981年、胸部大動脈瘤の発作を起こし1987年7月17日53歳で死去。
兄の石原慎太郎が「裕次郎は湘南の海が好きだったから遺骨を散骨したい」と法務省に願い出たが、当時はまだ許可されていなかった。
1991年に法務省から「節度を持って行われる限りは問題ない」との見解が発表され、その後一部の遺骨を散骨した。
イギリスのリヴァプール出身でザ・ビートルズのメンバーの一人(リードギター、コーラス、ボーカル担当)。映画プロデューサーでもある。
1999年の晦日に自宅に侵入した変質者にナイフで襲われ、重傷を負った後に音楽活動を再開するも、2001年11月29日に肺癌と脳腫瘍で療養生活をしていた滞在先のロサンゼルスで逝去。58歳没。
遺体は荼毘にふされ、ガンジス川に散骨された。
高知県宿毛市沖ノ島出身の漫才師。
1986年に吐血し、1994年には肝硬変と診断されて1996年1月21日に急逝。
夜に自宅で寝たまま意識を失っているのを啓子夫人が発見し、救急車で病院に運ばれたが既に心臓も呼吸も停止しており、意識が戻ることはなかった。51歳没。
死去前日、大量にビールを飲んで吐き出していた。解剖の結果、死因は「アルコール性肝硬変」と判明、血液からもアルコールが検出された。
同年3月24日、故人の遺志により愛艇を置いた宮島競艇場で「散骨の儀」が行われ、船上から遺骨の一部が散骨された。
テキサス州ポート・アーサー生まれの女性ロックミュージシャン。
ウッドストックフェスティバルやモントレーポップフェスティバルなどにも参加した1960年代を代表するミュージシャンとして、今もなお多くの人に愛されている。
1970年10月4日に、新作アルバム「Pearl」の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルで、高純度のヘロインを大量に摂取し死亡。27歳の若さだった。
遺灰はカリフォルニアの海へ撒かれた。
海とヨットを愛した作曲家で、多くのラジオやテレビのCMソングを手掛け、作曲したCMソングは約3,000曲にも上る。また歌謡曲の分野でも活躍し、1969年には佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」で日本レコード大賞を受賞。また1989年から亡くなるまで参議院議員を務めていた。
1992年5月11日、肝不全のため62歳で逝去。海が好きだったこともあり、同年相模湾に海洋葬された。
落語家、落語立川流家元7代目(ただし自称5代目)。本名、松岡克由(まつおかかつよし)。
天才と称されるもその荒唐無稽、破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。また、落語のほか、講談、漫談も得意とし、芸域の幅が広かった。
2011年11月21日14時24分、喉頭がんのため75歳で死去。
海が大好きで、生前、家族に「骨を海にまいてほしい」と伝えていたことから、遺骨は翌年2012年2月初旬にハワイの海にまかれた。長女の弓子さんがハワイを1人で訪れ、故人お気に入りの海岸など3カ所からまいたという。
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